希学園では、五ツ木・駸々堂模試で偏差値60以上の学校に3校以上合格すると、「三冠王トロフィー」を合格祝賀会でいただけます。
スーパーエリート塾といわれる希学園では、
灘、東大寺、西大和に合格されたスーパー三冠王など、眩しい成果をあげられるお子様が多数いらっしゃいます。
なので大っぴらに、トロフィーもらったー!と言った事はなかったのですが、
偏差値34から始まった息子にとって、
この三冠王トロフィーは、
親子で必死に積み上げた結果でもありました。
中学受験の世界では、
「トップだけが正解」のように見えることもあります。
けれど実際には、
その子の特性に合った戦い方を見つけ、
合格を積み上げる方が、
ずっと再現性が高いと感じます。
この記事では、
偏差値34からスタートした息子が、
難関校6校すべてに合格するまでに、
親として何を考え、
直前期に何を選び、
何を捨てたのかを、
できるだけ正直に書いていきます。
偏差値37から始まった中学受験
息子の中学受験は、偏差値34から始まりました。
希学園の入塾試験には合格したものの、
発達特性炸裂で、勉強自体をしたくない。
友達とゲームをしたい。
結果、登塾拒否。
ただ、
「受験したい」と思ったときに、
再び入塾資格を得るのは難しいと考え、
塾には通わないまま、月謝だけを払い続けました。
実際に通い始めたのは、
小学5年生の夏休みから。
公開テストの結果は後ろに数人。
もちろん、
一番下のクラスからのスタートでした。
希学園で感じていた「語られない空気」
希学園のバッグを背負っていると、
それだけで
「勉強ができる子」
と思われることがあります。
けれど実際には、
灘や甲陽を目指す優秀なお子さんたちと
同じ土俵にいるわけではなく、
そのギャップに、
少し居心地の悪さを感じることもありました。
ただ、
周囲からの
「希学園なの?賢いのね」
という反応は、
ほめられると調子に乗りやすい息子には
意外と効きました。
ちやほやされ慣れていない息子は、
嬉しそうに希学園のバッグを背負って
通ってくれるようになりました。
結果よりも、判断が積み上がっていた
今振り返ると、
合格そのものよりも、
親がどこでどう判断したかが、
結果を作っていたように思います。
行く気のない塾に
月謝だけを払い続けることには、
賛否があると思います。
ただ、
再開したいと思ったときに
入塾テストで弾かれ、
数週間を無駄にするリスクや、
選択肢そのものがなくなる可能性を
避けたかったのです。
また、
希学園を選んだ理由も、
息子の性格を考えた結果でした。
「一番」「エリート」という言葉が大好きな、
ある意味ちょろい性格の息子にとって、
分かりやすい称号は、
確実に響くと思ったのです。
小4では拒否が勝ちましたが、
小5になると周囲の状況も見え始め、
ようやく通える程度には認知が追いついた、
そんな形でした。
ただ、勉強をしないのは相変わらずでした。
そして、
親の判断が最も問われたのが、
受験直前期でした。
直前期に見えていた、親と子の温度差
1月に入ってから、
親の焦りとは裏腹に、
息子はどこかのんびりしていました。
受験は刻一刻と迫っているのに、
ロブロックスをしている姿を見て、
不安にならない親はいないと思います。
希学園では大晦日に
決起集会なるものがあります。
終わった直後は、
「やらないとまずい呪いをかけられた」
などと言っていたのに、
その効果は3日で切れました。
最後の頼みの綱だっただけに、
親の焦りは増すばかりでした。
「全部やらせない」と決めた受験
直前期でも危機感のない息子。
関西統一試験日が迫る中、
親のイライラもピークに。
塾の直前講習が続き、
大量のプリントを持ち帰る。
できているのか分からないまま、
次の講習が来る。
「勉強した気」にはなっているけれど、
本当にこれでいいのか。
不安は募る一方でした。
そこで、
「全部やらせる」ことは諦めました。
何をやらせるかより、
何をやらせないかを決める。
それが、
この受験で一番大切だった判断だったと、
今は思っています。
最後に
偏差値34から始まった中学受験は、
「どこまで伸ばせるか」よりも、
「どこでどう判断するか」の連続でした。
灘や甲陽を目指すような王道ルートとは、
明らかに違う戦い方だったと思います。
でも、息子の性格や特性を考えたとき、
このやり方以外はなかったとも感じています。
Xなど見ると、最難関を目指される、キラキラしたエピソードがたくさん流れてきますが、
子供の個性や状況に合わせ、
合格を一つずつ積み上げていくことも、
立派な戦い方です。
この記事の詳しい内容はnoteで公開しています。


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